Posts categorized "近現代遺産"

2008.04.13

九州遺産『南阿蘇鉄道 第一白川橋梁・立野橋梁』

九州遺産『南阿蘇鉄道 第一白川橋梁・立野橋梁』
九州遺産『南阿蘇鉄道 第一白川橋梁・立野橋梁』
九州遺産『南阿蘇鉄道 第一白川橋梁・立野橋梁』
九州への旅三日目、有明海方面を目指す途中、熊本県南阿蘇村にある九州遺産の南阿蘇鉄道『第一白川橋梁』と『立野橋梁』を訪れた。


『第一白川橋梁』(写真1枚目)は阿蘇外輪山から唯一流れ出る、断崖絶壁に挟まれた白川の渓谷にかかる、日本国有鉄道最初の鋼製アーチ橋で昭和3年(1928年)竣工。


『第一白川橋梁』は“2ヒンジ・スパンドレル・ブレースト・バランスドアーチ”と呼ばれる形式で、全長153m、中央支間長91.4m、高さ約62m。スケールと美しさを兼ね備えた橋だ。


しかし、橋のかかる場所の地形もあって、橋に近寄れないことから、『第一白川橋梁』の姿は、南阿蘇鉄道の運行しているトロッコ列車に乗らないと間近に見ることができないのが残念。


一方、『立野橋梁』(写真2,3枚目)は南阿蘇鉄道の立野駅を出てすぐのところにあり、橋梁の間近まで近寄り、橋の全景から細部まで、その姿をじっくり眺めることができる。


『立野橋梁』は『第一白川橋梁』と同じく昭和3年に竣工。“鋼製トレッスル橋脚”と呼ばれる橋脚3基で支えられ、全長は139m。


“鋼製トレッスル橋脚”を持つ同じような橋としては、JR山陰本線の『餘部(あまるべ)鉄橋』(橋脚11本、全長300m)が有名。昨年、その『餘部鉄橋』を見てきたこともあり、『立野橋梁』は想像してたよりはこじんまりと感じる。


ただ、『餘部鉄橋』は橋の下から見上げただけだったが、『立野橋梁』は線路(橋桁)と同じ高さから見たり橋脚の根元から見たりと、いろんな角度から見ることができてよかった。


「九州遺産」(砂田光紀、弦書房)によると、『餘部鉄橋』は外国の技術(アメリカン・ブリッジ社)を導入して完成させた、日本初の“トレッスル橋脚”の橋だが、それを国産の技術で実現したのが『立野橋梁』らしい。


その証拠に橋脚の鋼材には、最近塗装し直したのでわかりにくかったが、“SEITETSUSYO YAWATA”(八幡製鉄所)の文字が読み取れた。


第一白川橋梁
熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字立野
立野橋梁
熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字立野

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2008.04.11

九州遺産『旧西日本鉄道 筑紫駅待合所』

九州遺産『旧西日本鉄道 筑紫駅待合所』
九州遺産『旧西日本鉄道 筑紫駅待合所』
九州遺産『旧西日本鉄道 筑紫駅待合所』
九州への旅で九州遺産『旧西日本鉄道 筑紫駅待合所』を訪れる。


『筑紫駅待合所』のある西鉄天神大牟田線の筑紫駅周辺は区画整理が行われていて、車を停める駅の駐車場がわからずウロウロする。


近くに筑紫地区公民館があり、そこの駐車場に車を停めて『筑紫駅待合所』を探そうと思ったら、それは公民館の敷地の一角にひっそりと佇んでいた。


待合所の屋根には、太平洋戦争終戦間際に米軍機の機銃掃射により被弾した痕跡が残されている。その時の米軍機の攻撃により、筑紫駅付近にいた上りと下り列車に乗り合わせた、一般市民の乗客六十四名が即死するという悲惨な出来事があった。


太平洋戦争時の米軍機の機銃掃射よる一般市民への無差別攻撃というと、映画「明日への遺言」で、B級戦犯、岡田資中将(藤田まこと)の弁護側証人として出廷した鉄道局車掌 守部和子(蒼井優)も、その悲惨な状況を証言していたのを思い出す。


軍隊同士が殺し合うのは戦争だが、一般市民を標的として殺すことが果たして戦争と言えるのか。

旧西日本鉄道 筑紫駅待合所
福岡県筑紫野市大字若江 筑紫出張所脇

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2007.11.25

九州遺産『西海橋』、『針尾送信所無線塔』

九州遺産『西海橋』、『針尾送信所無線塔』
九州遺産『西海橋』、『針尾送信所無線塔』
11月18日、九州遺産『西海橋』、『針尾送信所無線塔』がある長崎県西海市、佐世保市を訪れた。


『西海橋(さいかいばし)』(全長316m、アーチ径間216m)は、大村湾の外海への唯一の出入り口である、針尾瀬戸をまたぐ日本初の有料道路橋として昭和30年に竣工、当時東洋一、世界第三位の固定アーチ橋でもあった。


『西海橋』は真っ青な針尾瀬戸の海を背景に、銀色の二重のアーチに真紅の高欄がアクセントとなって、橋そのものが一つの鑑賞対象ともなり得る非常に美しい橋だ。


西海パールラインの「新西海橋」には車道の下に歩道が設けてあり、針尾瀬戸を歩いて渡りながら『西海橋』を“鑑賞”できる。


その新西海橋の歩道から西海橋と反対の方向に目を向けると、空に突き出した三本の煙突のような物が目に飛び込んでくる。それが『針尾送信所無線塔』だ。


『針尾送信所無線塔』は海軍が無線塔として建設したもので、鉄筋コンクリート製のタワーは、3本が正三角形に配置され、高さは135〜137m、根元の直径は12mを越える巨大なもの。


太平洋戦争開戦時の出撃命令“ニイタカヤマノボレ一二0八”がこの無線塔から発信されたとも言われている。


今回は『針尾送信所無線塔』を遠望しただけだが、昨年訪れた際は無線塔まで行ってみた。その大きさにも圧倒されたが、それ以上に驚いたのはコンクリートの表面だ。


大正11年竣工した無線塔は70年以上の年月が経っているにもかかわらず、コンクリートの表面は劣化が進んでいるようには全く見えない。海辺に立ち潮風にも曝されていることを考えると脅威とも言える。またアバタのない綺麗な面(つら)。軍事施設とはいえ、その入念で丁寧な施工には感嘆する。


無線塔は現在は利用されておらず、軍事施設であったこともあり、取り壊してしまおうという意見もあるようだ。


“負の遺産”と言えるこれらの無線塔を壊して、この世からその存在を消し去るのは簡単だ。しかし、無線塔を残すことで、何ができるのか考えるほうが意味あるのではないだろうか。

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2007.11.23

九州遺産『筑後川デレーケ導流堤』、『筑後川昇開橋』

九州遺産『筑後川デレーケ導流堤』、『筑後川昇開橋』
九州遺産『筑後川デレーケ導流堤』、『筑後川昇開橋』
18日の日曜日、九州遺産の『筑後川デレーケ導流堤』、『筑後川昇開橋』を見るために福岡県筑後川河口を訪れる。


明治政府の招請で来日したオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケは、日本の近代治水・河川改修の祖と言われ、彼の足跡は日本各地に残されている。


彼は松本市の午伏寺川をはじめとして長野県内各地も視察し、工事のアドバイスをしている。


筑後川の河川改修を行うにあたり、デ・レーケは川の真ん中に堤を築くことで、流れる水の流速を速め、河床への土砂の堆積を防ぎ、河道の確保をすることで、洪水時の破堤による水害を防ぐとともに、船舶の航路を確保しようとした。


専門的に言えば、同じ流量なら、浅く広い断面よりも深く狭い断面のほうが流速が速まり、その結果土砂も溜まらずに流れていくというわけだ。


百数十年の時を超え、導流堤が今なお現役でその機能を果たしているのを見ると、土木技術者の端くれとしては、デ・レーケと彼の構想を具現化するために現場で働いた人々に、ただただ畏敬の念を抱かざるを得ない。


『筑後川デレーケ導流堤』の全容を見ようとするなら、干潮時に新田大橋の上から見るのがベストだ。車は新田大橋の左岸側下流に緑地帯の駐車場があるので、そこに停めるとよいだろう。


『筑後川デレーケ導流堤』の約2km上流には九州遺産の『筑後川昇開橋』がある。


『筑後川昇開橋』は昭和10年に筑後川に架けられた国鉄佐賀線の橋梁で、列車と筑後川を行き来する船舶の両方の通行を可能にするために、橋の中央部がエレベーターのように昇降する仕組みになっている。


昇降部の前後には高さ30mのタワーが立ち、ワイヤーでレールを載せた橋桁を引っ張り上げる構造だ。


国鉄佐賀線の廃止により橋も解体撤去されようとしたが、地元の熱望で動態保存され、「筑後川昇開橋観光財団」により管理運営されている。


普段は船舶の航行に支障がないように、中央部の橋桁は引き上げられているが、昼間、1時間毎に橋桁の昇降が行われ、橋を歩いて渡ることができる。


橋の両岸に公園、駐車場が整備されているので、見学の際はそこに車を停めることができる。

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2007.11.22

九州遺産『鹿本鉄道・菊池川橋梁』

九州遺産『鹿本鉄道・菊池川橋梁』
11月18日、『鹿本鉄道・菊池川橋梁』が移設保存されている、熊本県山鹿市の「水辺プラザかもと」に隣接した公園を訪れた。


『菊池川橋梁』はもともと、九州初の鉄道として開業した九州鉄道が、明治23年に筑後川に架けた鉄道用9連トラス橋で、そのうちの4連が、のちに鹿本鉄道に譲渡され菊池川に架けられていた。


鹿本鉄道は昭和40年に廃業、菊池川橋梁の4連あったトラスの1連のみが、九州の鉄道の歴史を伝える証人として、公園内にひっそりと佇んでいる。

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2007.11.18

九州遺産『豊後森円形機関車庫』

九州遺産『豊後森円形機関車庫』
17日の土曜日、大分県玖珠町のJR久大本線の豊後森駅構内にある『豊後森円形機関車庫』を訪ねる。


『豊後森円形機関車庫』は蒸気機関車の転車台を囲むようにして、機関車13両を格納する半円形の機関車で昭和9年に竣工した。


昭和45に鉄道がディーゼル化され機関車庫は廃止、以来使われずに放置されている。


建物内部には入れないが、最近、外から見学するための駐車場や説明板が設置されたようだ。今後、より積極的な形で保存が図られるとよいのだが。

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2007.11.17

九州遺産『城井1号掩体壕』

九州遺産『城井1号掩体壕』
早朝、門司港駅そばの駐車場を出発し、大分県宇佐市にある『城井(じょうい)1号掩体壕(えんたいごう)史跡公園』を訪れる。


掩体壕とは爆撃から戦闘機を守るための格納庫で、コンクリートの上に土を盛ってできており、遠くから見ると小さな古墳のように見える。史跡公園の周辺には数基の掩体壕が確認できる。


太平洋戦争中、この地には宇佐海軍航空隊、練習航空隊が置かれ、終戦の年にはここから154名の若者が神風特別攻撃隊として串良基地などを経て南の海へ散っていったという。合掌。

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